リトアニア 2006/09/23-2006/09/25

ラトビアに続き,バルト三国の2つ目.リトアニア.ラトビアと同様,ソ連に占領された歴史を持つ.この国の見所は,その歴史と,その独自の文化だ.2006年時点で,この国の世界遺産は3つ.

移動しながら村を飲み込んでいく,クルシュ砂丘

ハンザ同盟の都,ビリニュス歴史地区

ケルナヴェ古代遺跡(ケルナヴェ文化保護区)

である.今回はこのうちのクルシュ砂丘と,ビリニュス歴史地区を回る.

9/23 Sat. FR2144 London Stansted 0700 - Kaunas 1130 2h30m

クルシュ砂丘 @ リトアニア
飛行機から見たクルシュ砂丘

ライアンエアー Ryanair はロンドンとリトアニア第二の都市,カウナスを結んでいる.ロンドンは曇っていたが,リトアニアは快晴.飛行機の窓から,クルシュ砂丘がよく見える.陸地から少し離れたところに,細長く続く半島が,リトアニアからロシアの飛び地へと続いている.この細長い半島は,まず島ができ,そこに堆積した砂が島と島とを結んでできたものだ.だから,基本的にこの半島は砂で覆われている.飛行機はカウナスに向けて進む.陸地に入ると,赤い屋根の家が続いているのが見える.起伏が無く,畑と牧草地が続いている風景はイギリスにも似ているが,決定的な違いはゴルフ場が見あたらないことだ.空港の周りは針葉樹林で覆われている.着陸すると,飛行機は数回バウンド.でこぼこの滑走路で機体が激しく揺れる.

飛行機の窓から空港を見ると,人だかりができている.花を持っている人もいる.有名人でも来るのだろうか?いや,違った.みな出迎えの人たちだ.田舎の素朴な暖かい歓迎風景であった.この空港は1日3便のみ.空港でレンタカーを借りる.

■杉原千畝記念館

杉原千畝記念館の執務室 @ カウナス,リトアニア
杉原千畝記念館の執務室

杉原千畝は,その人生の中で行った数日間の行為のために,偉大な人と呼ばれ,記念館が作られる事になる.かつてヨーロッパの多くの地域ががナチスの支配下に置かれたとき,杉原千畝はリトアニアの領事館に派遣されていた.領事館の前にオランダから逃れてきたユダヤ人たちが日本の通過ビザを求めて押しかけたのだ.彼らは,ロシアを通過し,日本から太平洋を渡り,地球を東回りにぐるっと回ってアメリカ大陸の近くにあるオランダ領の島を目指していた.この大移動を実現するには,日本の通過ビザをまず取得する必要があった.杉原千畝はそのビザを発給できる立場にいた.しかし,日本本国の指示はビザ発給不許可.ドイツと同盟している日本が通過を許可したら,ドイツとの敵対行為とされる.悩んだ杉原千畝は,指示を無視してビザを発給することにした.そして,6000人を救ったとされる.その後彼は指示に従わなかったことにより外務省を終われることになる.この選択は彼にとって人生の選択であったが,彼の選択は正しかったと思う.

そのかつての領事館が記念館となっている.実際行ってみると,階段を上ったところにある寂れた住宅地の中に並んである,なんでもない建物であった.彼の執務机が今でも残されている.この記念館は入場無料.寄付を募っているが,この記念館は存亡の危機に立たされているという.中では,彼の故郷の村が作った,15分間の日本語のビデオを上映してくれた.中で出てくるユダヤのことわざ

"If you save the life of one person, it is as if you saved the world entire."

"一人の命を救うことは,世界を救うと同じ"

がとても印象的だった.これに対して,彼は6000人も救ったのだから,宇宙を救ったのも同じだ,と言われていた.残念ながら,この記念館の存続は難しいと思われるが,是非記憶にはとどめておきたい.寄付金を10ユーロ(1500円)募金箱に入れておいた.

カウナスの街 @ リトアニア
カウナスの街

カウナスの街の中心で昼食をとる.この町には全くアジア人が見あたらない.白人ばかりだ.ここまでいないのはとても珍しい.このリトアニア旅行を通して,結局1人もアジア人を見かけなかった.リトアニアでは,背が高く,スタイルの良い女性をよく見かけた.ロシア人とも,ドイツ人とも違う.最近スペインのファッションショーで「やせすぎモデル禁止」という事件があったが,ここに来てみると,どうもあの話は,ある種の差別である気がしてならない.

■ロシアまで続く砂丘

さて,本日のメインイベント,クルシュ砂丘に向かう.カウナスから高速A1を西に200km.港の街クライペダ Klaipeda でフェリーに乗ると,クルシュ砂州に渡れる.そこから細長い砂州に沿って南に50kmほど下るとニダ Nida という街に出る.ここはロシアとの国境近くで,街に入らずに直進すると,ロシアとの国境線がある.ニダの街の南には遊歩道があり,そこから先に砂丘が広がっている.砂丘は相当大きい.風によって少しずつ動いているというが,本当だろうか.

クルシュー砂州, 2000, 文化遺産

ニダの内海 @ リトアニア
ニダの港

ニダに着いたのはちょうど夕方.太陽が沈む前に砂丘に行かないと,何も見えなくなってしまう.遊歩道を走って登る.ただでさえアジア人は目立つので,好奇な目で見られる.この砂丘.相当大きい.小さな山のようになっている.砂に足を取られ,少し登るとずずっと下がり,なかなか登れない.ぜーぜーいいながらやっとの事で丘の上に上がると,クルシュ湾そばに広がる砂丘は幻想的できれいであった.少し海にもやがかかり,青い空と海の間の水平線が曖昧になり,砂丘が宙に浮いているように見える.

ニダの砂丘 @ クルシュ砂丘,リトアニア
ニダの砂丘を歩く

砂丘を奥に向かって歩いていくと,「これ以上行くな」というサインに当たった.この砂丘はロシアとの国境にある.

バルト海の夕日 @ リトアニア
バルト海に沈む夕日

太陽が西に沈んでいく.砂丘の頂上に上がると,ちょうど太陽がバルト海に向かって沈んでいくところであった.

またクライペダまで戻る.今日はクライペダ泊.その名も「クライペダホテル」に泊る.一泊 140リタス(6300円).バスローブがおいてあるような,タワー型の割と良いホテルだ.夕食は,彫刻公園の中にあるメトゥ・ライカイ Metu Laikai というレストランに入った.真っ暗な公園の中にぽつんとある.雰囲気は良い.前菜に水餃子の様な物が入ったスープ,メインにイカを頼む.これにビールを飲んで30リタス(1350円).リトアニアはEUの中でも物価が安い.英語はあまり通じないが,注文ぐらいは通じる.英語のメニューがあるところもある.会計するときに,「アチュー(ありがとう)」と言うと,はじめびっくりした顔をして,すぐににっこり笑って「アチュー」と返してくれた.

■十字架の丘

十字架の丘 @ リトアニア
十字架の丘

リトアニアは十字架の国だという.13-14世紀にカトリックが入り,現在ほとんどの人はカトリックである.この丘は,どういう成り立ちかはよくわからないが,十字架を立てに来る人々により,丘全体が十字架で埋め尽くされてしまった.観光客が行くには全くもって行きにくい場所にある.このためにバスを乗り着いて訪れるのは困難だろう.

来てみると,ビミョウである.

丘と行っても,高さ5-10mぐらいで,確かにその一角は完全に十字架で埋め尽くされている.執念か感じられる.実際,ここに来る人たちは,真剣だ.旧ソ連時代には,命がけで十字架を設置したのだ.後から後から人がやってきては十字架を設置していく.観光客が冷やかしで来るところではない.

■ハンザ同盟の街

トロリーバス @ ヴィリニュス,リトアニア
トロリーバス

十字架の丘から,今度はヴィリニュスへ.ひたすらドライブである.2車線ある高速道路は限られている.従って,1車線しかない道を,遅い車を抜かしながら移動することになる.道はそこそこきちんとしているが,突然砂利道になったり,工事でシケインのように突然曲がっていたりと,ずっと気を張って運転していないといけない.街中も一方通行が多くて苦労する.みな譲り合いの精神はないので,

車線変更は気合いだ.

ビリニュス歴史地区,1994/12/17,文化遺産

コンフォートホテル @ ヴィリニュス,リトアニア
コンフォートホテル

見所である旧市街は車が入りにくいので,ホテルに車をおいて歩くことにする.ホテルはコンフォートホテル.一泊150リタス(7200円).部屋に入ってみて驚く.最上階だったのだが,部屋が完全に三角形.屋根裏部屋なのだ.着替えたり,何かするたびに手が天井に当たる.全然「コンフォート」じゃない.

旧市街 @ ヴィリニュス,リトアニア
ヴィリニュスの旧市街

まず夜明けの門をくぐって中に入る.ここから旧市街の始まりだ.石畳を北に向かって歩いていく.おみやげ屋がたくさんある.街の建物は昔のドイツ風であるといわれる.迷路のように入り組んでいて,よく言えば歴史がある,悪く言えば古びた雰囲気.

ウジュピス共和国の入口 @ ヴィリニュス,リトアニア
ウジュピス共和国??

昔の城塞の名残である円形城壁を回って,独立国「ウジュピス共和国」へ.旧市街とヴィリニャ川を挟んだところにある.入口の看板には確かに「ウジュビシュ共和国」とかかれている.たとえて言えば,「今日から3丁目は独立します!」と宣言して独立したようなものだ.どこまで本気?

旧市街で歌う女性 @ ヴィリニュス,リトアニア
旧市街で歌う

さらに北に進んで,アルキカテドゥラ(大聖堂)に抜ける.この街の大聖堂は,ドイツ式のゴシック様式ではなく,自然崇拝の神殿形式.列柱が正面に並ぶ.中にはいると,漆喰彫刻が天井を飾っている.

奇跡の石 @ ヴィリニュス,リトアニア
奇跡の石

この大聖堂のある広場は,奇跡 Stebuklas と書かれた敷石がはめられている. バルト三国が旧ソ連から独立するとき,かつてこのリトアニアのヴィリニュスから,ラトビアを抜けて,エストニアのタリンまで600km,200万人の壮大な人間の鎖を作った起点である.

ゲディミナス城のゲディミナス塔 @ ヴィリニュス,リトアニア
ゲディミナス城の塔

さらに北にゲディミナス城 Gedimino Pilis が丘の上に立っている.この城にあるゲディミナス塔からは旧市街が一望できる.

ゲディミナス城のゲディミナス塔から旧市街を望む @ ヴィリニュス,リトアニア
ゲディミナス塔から旧市街を望む

もう坂をぼる元気もなくなっていたが,城の北側には斜めのエレベーターがあって,往復2リタス(90円)であがれる.塔からの眺めは本当に良い.昼食はイダバサール Idabasar というレストランでパテとウサギのローストを食べた.

トゥラカイ城 @ リトアニア
トゥラカイ城

最後の締めは,ヴィリニュスの西に車で30分ほど行ったところにある,トゥラカイ城 Traku Salos Pilis.ルコス湖の中の島に建てられた美しい城.たくさんの観光客が来ている.今まであまり見かけなかったので,観光客を見ると安心する.城へは木の橋を渡る.ちょうど夕日の時間で,赤いレンガがさらに赤く照らされてきれいであった.入場 10リタス(450円).気に入ったので,ボートを借りて城の周りを1周する.夕日が森の中に沈んでいく.

シャルティパルシチェイ @ ヴィリニュス,リトアニア
冷たい赤蕪のスープ,シャルティパルシチェイ

最後の夜はチリ・カイマス Chili Kaimus というリトアニア料理のレストラン.地元の人もたくさんいた.木でできた雰囲気の良いレストランだ.小さめの皿の料理が載っている「居酒屋メニュー」と,メインの載っている「レストランメニュー」の2種類がある.まず冷たい赤蕪のスープ,シャルティパルシチェイと,ジャガイモのソーセージであるブルヴィニェイ・ヴェダライ,ジャガイモのパンケーキのブルヴィニェイ・ブリーナイを頼む.もちろんビールも.この国のビールは,スビタリス SVYTURYS が一番有名.少し酵母が完全に濾過されておらず,甘さが残っている.赤蕪のスープは,今までに飲んだことのない酸っぱい味.ジャガイモのソーセージは,少しモツのにおいがする.ジャガイモのパンケーキは,一番まともで,ハッシュドポテトのよう.その後,さらにメインにマトン,そしてデザートまで頼み,ウェイトレスは「まだ喰うのか」と言う感じで完全にあきれていた.

日曜日であるためか,夜10時頃の街は暗くてあまり人気がない.一人歩きの女性もおり,治安はそんなに悪くなさそうだ.観光地でも英語があまり通じないのが難点だが,人々は結構親切で優しい.いい街だ.

次の日は,少し旧市街をぶらぶらしてから車で空港へ.カウナスの空港は全く何もない.空港にはいるとすぐセキュリティチェックで,そのままチェックイン.そして搭乗.帰りは窓側に座って,ずっとリトアニアの風景を飛行機から眺めながらロンドンに帰った.

9/25 Mon. FR2145 Kaunas 1200 - London Stansted 1240 2h40m

Last updated: Sun, 8-10-2006 16:52 GMT