Aswan

テピラミッドの石切り場

アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群,79/10/26,文化遺産

ボートに戻り,アスワンに向かう.今日は雲ひとつない快晴なので,またデッキチェアでだんだんと変わる風景を眺めながら本を読む.16:00にアフタヌーンティ.紅茶を飲み,クレープを食べる.このあたりで日差しが弱まり,寒くなってくるので部屋に戻る.部屋にも大きな窓がついているので,のんびり外を眺められる.17:00には夕日になり,月が出てきた.満月だ.この満月はエジプトの景色とあいまってとてもきれいだった.

夕食はエジプトの食事をガラベーヤを着て食べる.イギリス人たちはきちんとガラベーヤを買ってきていたが,ドイツ人たちはあまり着ていなかった.ハトにもち米を詰めたハマーム・マフシー,トマト,卵,なすなどのシャクシューカ,ミートソースをかけるチャーハンのようなコシャリ,少しずつスパイスきいた癖のある食べ物だが,悪くない.夕食の後はガラベーヤ・パーティーで楽しんだ.

朝おなかが痛くて目を覚ます.ついにきた.生水を飲むようなことはしていないし,最近はどこの国に行ってもおなかを壊したりしないのだが,来てしまった.クルーズ船の人の半分ぐらいの人が腹をやられてしまったようだ.朝食を食べに来た人も少なめで,食も細っているようだ.かまわず食べ,下痢止めを飲む.観光も何人かは来られずに,部屋にこもっている人もいたし,医者を呼んだ人もいた.

切りかけのオベリスク Unfinished Obelisk


切りかけのオベリスク

Unfinished Obelisk, Aswan, Egypt, Yuichiro Nakamura, 2004

さて,まず切りかけのオベリスクを見に行く.アスワンは,カタラクトといって,ナイル川が急流になるところで,露出した花崗岩の石切り場として有名.あちこちにある石切り場から石を切り出しては遠くギザまで運んでいた.ここはオベリスクが作りかけで捨てられている.途中でひびが入ってしまったのだ.途中で捨てられているといえば,イースター島のモアイ切り場,ラノ・ララクもなかなか興味深かったが,こちらは,石を切り出していた方法がかいま見えるのが興味深い.石に切込みを入れて木を差し込み,水をかけて膨張力で割ったというが,実際に試してみると割れないという実験結果もある.なんにせよ,十分な道具のない時代にこんな地道なやり方で良くやったな,と感心させられる.切り出すのも大変だが,その後運ぶこと自体も一大作業であったと思われる.もし当時オベリスクを作れと命じられたら,どうするだろうかと考えてしまう.

アスワンハイダム Aswan High Dam


アスワンハイダム

Aswan High Dam, Aswan, Egypt, Yuichiro Nakamura, 2004

次にアスワンハイダムへ.ここはエジプトの一大事業で,世界最大(2004年1月)で,このダムのせいで,アブ・シンベルをはじめとしてたくさんの遺跡が水没してしまった.UNESCOが30以上の遺跡を移動したという.

このダムは確かにすごく大きい.だからなんだ,といえばそれまで.

フィラエ(イシス)神殿 Philae Temple


フィラエ神殿

Philae Temple, Aswan, Egypt, Yuichiro Nakamura, 2004

この神殿は島にあるので,必ずアプローチにボートを使う.これがこの神殿の良いところだ.ボートには売り子も一緒に乗ってきて,ネックレスを売り始めた.LE 50-> LE 30 (540円)まで値切って買う.フィラエ島は,時代の異なる遺跡があり,イシス神の神殿が一番重要.オリシス神とイシス神の子供がホルス神なので,エドフの神殿からみて,お母さんの神殿だ.ローマ人がレリーフを破壊した後があちこちに見られる.


フィラエ神殿

Philae Temple, Aswan, Egypt, Yuichiro Nakamura, 2004

ローマ人の作った建物は様式が異なり,この神殿にそぐわない.この遺跡も移動した遺跡のひとつだ.気の遠くなる作業であっただろう.昔は,ナイル川の氾濫期は,この神殿は水没し,観光は,川の上から沈んだ神殿を見たというが,それもなかなか良かっただろうと思う.

香水屋に連れて行かれる.なんだろうと思っていたら,各ブランドの香水を売っているのだ.リストとメモ用のペンを渡されて,「シャネルの5番は○○です」といわれると,みんなで一斉にメモを取る.他にも,アルマーニ,ディオールから三宅一生などまで,何でもそろっている.もちろん安い.

フルッカ


フルッカ

Aswan, Egypt, Yuichiro Nakamura, 2004

このあたりのナイル川は,フルッカと呼ばれる帆船が行きかう.子供が,ちょうど体の大きさの小さい船に乗って,お菓子の蓋をかいにしてこぐ.


 

Aswan, Egypt, Yuichiro Nakamura, 2004

彼らは驚くべきことをするためにこの川にいる.かれれは,行きかう船のひとつに目標を定め,必死でこいで近づく.そして,船のへりをつかんで取り付く.「イタリアーノ?イングリッシュ?」と乗っている観光客の国籍をすばやく聞き,その国の歌を歌うのだ.文字通り,体を張った芸.彼らのあまりに必死な姿にパクシーシを渡す.

アスワン市街


スーク

Aswan, Egypt, Yuichiro Nakamura, 2004

アスワンの町に行く.モスクを回って,シティマーケットへ行く.マーケットは,川のサンダルを LE 100 -> LE 40 (720円),銀の指ぬきを LE 100 -> LE 40 (720円)+ペン,T-SHIRTS を LE 12 (220円) で買った.ターキッシュ・コーヒーという,アラブ圏で飲める甘くて,カルダモンのコーヒーを飲む.このターキッシュ・コーヒーはわりとお気に入りだ.水タバコもすわせてもらった.甘いりんごのタバコだった.

フィラエ神殿のサウンド&ライトショー

またフィラエ神殿へ.今度は,サウンド&ライトショーだ.真っ暗な中でボートに乗り,フィラエ神殿の島へ.神殿はライトアップされているが,時間がたつと一旦消えて,ショーが始まる.対話形式で,イシス神殿を中心に,移転について,イシス神を巡る神話や,ホルス神について,などが内容.物語の進行に合わせて,神殿の中を観客が移動していく.


フィラエ神殿のサウンド&ライトショー

Philae Temple, Aswan, Egypt, Yuichiro Nakamura, 2004

最後に席に座ってクライマックス.後ろのほうの席のほうが良い.ライトアップするとヒエログリフやレリーフが良く見えるし,何よりライトアップされた島が美しい.

船に戻る.客室係のアフマッドまでおなかを壊したらしい.あまりにみんながおなかを壊しているので,アンケートを配っていた.


Abu Simbel

余りにも有名なラムセス2世の宮殿

アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群,79/10/26,文化遺産

朝 2:45 起床,3:15 集合,アブ・シンベルは,バスで行くのと,飛行機で行くのと2つの方法があるが,バスを選択.バスはサハラ砂漠を横切り,サハラからの朝日,また帰りには蜃気楼が見れるという.値段も飛行機の半額だ.しかし飛行機は 30分,バスは 3時間かかる.でも飛行機ツアーと出発時間は 15分しか違わない.飛行機はバスが到着する前に着き,すいている状態で見学できる.

バスは,朝食ボックスを渡されて,枕を持って乗り込む.バスはパトカーに先導され,みんなで一列になっていく(コンボイを組む,という).いざサハラ砂漠のハイウェイを走る.ハイウェイといっても,片側一車線,対面通行だが,100km/hは超えているだろう.バス同士抜きつ抜かれついく.月明かりの中,ぼんやりと砂漠が見える.だんだんと東の空が明るくなる.6:15 には到着するが,まだ夜が明けていない.

アブ・シンベル大神殿 Abu Simbel


アブ・シンベル大神殿

Abu Simbel, Egypt, Yuichiro Nakamura, 2004

ガイドは中に入れない決まりなので,外で説明する.そのうちだんだんと夜が明けてきて,神殿の正面に並ぶ,4体のラムセス2世巨像を照らす.この神殿もアスワンハイダムの建造で移動させられたもののひとつだ.どうせ移動するならアスワンに移動すればよかった気もするが,この建物は,ラムセス2世が,愛するネフェルタリのために,彼女の生まれたこのヌビアの地に立てたものなので,そうも行かない.しかし,岩窟としては最大級と思われるこの遺跡を,のこぎりで切って細かいピースにわけ,がけの上に岩山を新たに築いて移動する,というのは生半可な作業ではなかっただろう.


アブ・シンベル大神殿内部

Abu Simbel, Egypt, Yuichiro Nakamura, 2004

神殿の中に入ると,8本の柱と,ラムセス2世の像があり,それのみか,戦車に乗るラムセス2世,ヒッタイト人にとどめをさすラムセス2世,神々とラムセス2世の交わりなど,とにかくラムセス2世だらけなのだ.


アブ・シンベル大神殿のレリーフ

Abu Simbel, Egypt, Yuichiro Nakamura, 2004

中は神殿としてはそれほど広くないが,岩窟としては相当大きい.いくつかの小部屋に別れ,レリーフの彩色かかなりきれいに残っている.


アブ・シンベル大神殿の一番奥

Abu Simbel, Egypt, Yuichiro Nakamura, 2004

そして,一番奥まで行くと,神々と共に座っているラムセス2世像がある.1年のうち2回,ラムセス2世の上を太陽が通過するという.

アブ・シンベル小神殿


アブ・シンベル小神殿

Abu Simbel, Egypt, Yuichiro Nakamura, 2004

小神殿のほうは,ネフェルタリのためのものだ.正面には,ネフェルタリとラムセス2世が並んでいる.中にはネフェルタリのレリーフがたくさんある.鏡を見ているネフェルタリ,柱廊のネフェルタリの顔,などなど.ラムセス2世のカルトゥーシュも数限りなく彫り込まれている.


アブ・シンベル大神殿を横から見ると,山を作ってこの遺跡を作っているかがわかる.

Abu Simbel, Egypt, Yuichiro Nakamura, 2004

このアブ・シンベル神殿は,確かにすごい.すごいが,さんざん予告編で見所を見てしまった映画のように,見所はすでに見てから本物を確認する作業を行っているような感覚だ.帰りのバスは 9:00にはアブ・シンベルを出て,朝のサハラ砂漠を突っ走る.


蜃気楼.

Mirage, Abu Simbel, Egypt, Yuichiro Nakamura, 2004

東側には,蜃気楼が見える.ちょうど空と地平の境目近くに,湖があるように見えるのだ.帰りも 3時間程度でアスワンに到着.

太陽は出ているのだが,風があるので,水着では寒い.サンデッキには上がったが,すぐ部屋に戻る.


Kom Ombo

かつての医療の中心地

アスワンを出て,コム・オンボを経てルクソールへ.朝イカリを上げ,移動開始.このナイル川クルーズでは,川の上なので,船はほとんど揺れない.カーテンを閉めていると,移動しているかどうかも良くわからない.キャビンの窓は広くて眺めも良いが,逆に言えば,外から丸見えなので,川岸の人目が少し気になる.たまにナイル川を行く小船の人が手を振ってくる.

コム・オンボ Kom Ombo


コム・オンボ

Kom Ombo, Egypt, Yuichiro Nakamura, 2004

さて,コム・オンボ寺院は,ホルス神と,ワニの神ソベク神のために作られたものだ.そのためか,ここは神殿の入口が2つあり,レリーフもホルス神とソベク神の両方が彫り込まれている.ここはプレトマイオス朝に作られたもので,医学の学校として,また病院として使われていたという.そのため,ヒエログリフの中には医者の道具と考えられるものが彫り込まれているし,手術室に使われていたと思われる部屋がある.手術の成功率は 80%であったという.


コム・オンボのワニのミイラ

Kom Ombo, Egypt, Yuichiro Nakamura, 2004

そのほかにも,ワニのミイラがあったり,彩色された後が残っていたりする.


ナイロメーター

Kom Ombo, Egypt, Yuichiro Nakamura, 2004

左手の真ん中辺りには,ナイロメーターという,ナイル川の水位を測る計測器がある.これはナイル川沿いのあちこちのあるものだ.エジプトの農業の生産量は,水位と密接な関係にあったため,この水位に従って税金を上げ下げするのだ.水位が高いときは税率が高く,水位が低いときは税率が低い.水位が高いということは,より広い面積が耕作可能になるからだ.

神殿自体は対して大きくないし,高々2000年ぐらいの古さなので,そういう意味ではわざわざ見に行くことはないと思うが,ここの良いところは,ナイル川から見えるということだ.だからクルーズ船から眺める価値はあると思う.

このクルーズでは,下痢になってしまった.自分にとって旅行をして,普通に食事をして下痢になるという体験は,パキスタンを旅行したときに始まる.パキスタンに行ったときは,先進国以外の国へ行くはじめての経験だったので,A型肝炎の予防接種を受け,抗生物質を処方してもらい,正露丸を1ビン持って行った.もちろん水道水は飲まないで,ミネラルウォーターを買い,歯磨きもそれを使ってやったのだが,結果トイレットペーパーを手にベットとトイレを行ったり来たりする羽目になった.文字通り三日三晩苦しみ,熱も出たりして,パキスタン旅行中は,「いやー,アフガニスタンに行ったら腸チフツになっちゃって,隔離病棟に入れられたりして大変だったよ」などと笑って話すフォトジャーナリストに会ったりして,こんなもんかな,と思ったり.その後ペルーメキシコタイマレーシアチリアルゼンチンケニアタンザニア,インド,ヨルダンなどなど,いろんな国を回ってきた.不思議にだんだんと,激しくおなかを壊すことはなくなってきた.こういう国の旅行自体になれてきたこともあるが,人間だんだん適応して強くなっていくものではないかと思う.安宿を放浪して歩く人たちは,水道水を直接飲んでも大丈夫になっていくものだという.しかし,根本的に,なんでお腹を壊すのだろう?

日が暮れたあたりで,ロックを越えた.ロックとは,川の流れを少しせき止めて鉄の扉で囲まれた水槽を作り,その中に船を入れて水槽の水位を船の行きたい側の水位に合わせて船を通すものだ.いわば船のためのエレベーターだ.

船はルクソールに戻る.一週間のクルーズの中で,船の中の人とだだいぶ仲良くなっていたので,解散してしまうのは少し寂しい気がする.ハウスキーピングのスタッフなど,人なつっこくて常に他人とやり取りしていないと気がすまない感じだ.黙々と働く,ということはきっとできないのだろう.こちらが元気なときは楽しいのだが,疲れているときは少しうっとうしい.


毎日ベッドメイクのついでにタオルでいろいろなものを作ってみせる

Egypt, Yuichiro Nakamura, 2004

船を下りて散歩し,また船に戻ってみると,自分の船がなくなっている.この船たちは,岸に一隻が接岸すると,その隣に一隻,さらに一隻,という形でどんどん横に連なっていく.これは,どの船も大体同じ大きさで,同じ形をしているからできる.だから,客は外に出るためには,他の船のロビーを抜けていかないといけない.そのため,端っこの船では外が眺められるが,大半の内側の船は見えない.ちなみに,船はたいてい東側に接岸するので,南に下るときは,進行方向右側のキャビンが良い.船の接岸順は,新しい船が来たり,間の船が出たりすると,順番がどんどん変わる.そのため,自分の船の場所がわからなくなってしまうのだ.帰ろうとしたら,移動中だったりすることもある.

六隻ぐらい船をわたったところで,やっと自分の船にに行き渡った.最後の昼食を食べに行くと,新しいツアー客が来ていた.彼らは

先週の客たちがこの料理で全員下痢になった

ことも知らず,がつがつ食べていた.仲良くなったハウスキーピングのアフマッドに別れを告げ,空港へ.空港は改装中で,現在はただのテントでできている国際空港だ.

X線検査機の前に人がいて,勝手に荷物を持ち上げてはチップを請求する.無視.金属探知機で引っかかったので,ポケットからペンをだすと,係員はすかさず「俺にくれ」といってきた.さらに無視.

また荷物の重量制限でもめるかな,と心配していたら,カウンターの人が,チラッとコインを見せてチップを要求してきた.いいかげん,みんなしてくれくれ言ってくるので参った.出国のスタンプを押してもらうと,空港の売店がいくつかあった.たいしたものは売っていないが,それなりにみやげ物は売っていた.

帰りの飛行機の機内食はまずかった.チラッと腹を壊したクルーズ船の食事を思い出し,首を振る.

2004/1/12 Monarch Air MON2439 Luxor - London Gatwick 2120 5h35m